史上最も成功したエンターテイナー--マイケル・ジャクソン追悼特集

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TRICERATOPS の和田唱がマイケルを語る!--
マイケル・ジャクソンの死は、世代や性別や立場を越えて、世界中の様々な人たちに衝撃を与えた。もちろん、ミュージシャンにとってもそれは同じだ。自他ともに認めるマイケル・ジャクソン・フリークとして有名なトライセラトップスの和田唱は、今回の死をどう受け止めているのだろうか? じっくり話を聞いてみた。
マイケルとの出会い--
ビデオ屋さんのホラー・コーナーに並んでた(笑)『メイキング・オブ・スリラー』
「小学校5年生ぐらいのとき、レンタルビデオ屋さんのホラー・コーナーに並んでた(笑)『メイキング・オブ・スリラー』を借りて見たのがきっかけです。たぶん最初は、ヒーローものの延長だったんですよ。それで間もなくディズニーランドで*『キャプテンEO』がはじまり、『BAD』が出て、初来日が決まったんです。どんどんマイケル漬けになっていきました。アルバムでいえばリアルタイムで聴いた『BAD』への思い入れが強いですけど、多く聴いたのは『スリラー』でした。当時の僕にとって、『BAD』はちょっと大人っぽかったんです(笑)。で、のちに『オフ・ザ・ウォール』やジャクソン5時代までさかのぼっていった感じですね。」
*編集部注:マイケルは1986年からディズニーランドで公開された3Dアクション「キャプテンEO」のために、“We Are Here To Change The World”と“Another Part Of Me”の2曲を書き下ろしている。後者は翌年リリースの『Bad』に収録された)
アルバム・ジャケット写真 『スリラー』
アルバム・ジャケット写真 『スリラー』
来日公演--
体力とダンスのキレとすべてが充実してたのが87〜88年
「マイケルは4回ツアーで日本に来たんですけど、ラッキーなことに僕は全部行けたんです。87年の初来日は全部で14公演で、世界をまわるツアーの皮切り。当時のマイケルは29歳で、パワーがすごかったです。しかも88年の12月にまた日本に来たんです。『もう一回見たい』ってずーっと思ってたんでうれしかったですけど、このときはまたヤバかった。明らかにダンスが進化してるんです。内容もリニューアルされてました。87年はジャクソンズのツアーをマイケルがソロでやってるような内容だったんですけど、88年は『BAD』からの曲がガーンと増えて、ジャクソンズ時代の曲が減り、本格的な『BAD』ツアーになったんです。たぶん、体力とダンスのキレとすべてが充実してたのがこの87〜88年ですね。」
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