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矢沢永吉 インタビュー

良い曲というのは鼻歌で歌っても良い曲なんですよ。何年経っても廃らないという曲は鼻歌で歌っても良いメロデイなんですよ。飽きないですよね

「夏の終り」が初めてリリースされたのは1974年。75年の日比谷野音の解散コンサートのライブアルバムにも収録されている。作詞・作曲がともに矢沢永吉の代表的なバラードだ。20年後の94年にも、外国人のミュージシャンでリテイクされている。今回の発売にあたって、彼は歌い直しもしている。今から33年前の曲が古さを感じさせない。

矢沢永吉:「意識してサラッと歌いました。矢沢のいつものグッと思い入れを入れないで歌ってますね。あの曲だって、作ったのは、アマチュアの頃ですもん。“YAMATO”の頃ですからね。あの頃の曲はほとんどそうですよ。「I LOVE YOU OK」は18の時ですし。「ヘイ・タクシー」とか「レデイ・セブンテイーン」「やりきれない気持ち」とか、一杯あるじゃないですか。キャロルの頃の曲はほとんどその前の“YAMATO”の時に書いてます。「FUNKY MONKEY BABY」はキャロルになってからですけど、ほとんどの曲はオンタイムでは書いてませんよ」

矢沢永吉のファンなら説明も必要がないことだろうが、彼は高校卒業の翌日、卒業証書を破り捨てて夜行列車で上京した。横浜で住み込みのアルバイトをしながらバンド活動を始める。夢はビートルズ。そんないきさつはまさに伝説だ。“YAMATO”というのは、キャロルの前に彼が組んでいたバンドである。「夏の終り」は、その時に書いた曲だと言う。

矢沢永吉:「横浜の西口のライブハウスとかでやってましたからね。たまたま湘南とか鎌倉とか海辺のバイトがあって、ビートルズとか洋楽のレパートリーをやっているんだけど、せっかく夏の海でやってるんだから、浜辺らしい曲がないなって、じゃ、ちょっと書いてみようって出来たのがあの曲ですよ。でも、良い曲というのは鼻歌で歌っても良い曲なんですよ。何年経っても廃らないという曲は鼻歌で歌っても良いメロデイなんですよ。飽きないですよね」